Jul 26, 2015

連邦結成/コンフェデレーション150周年


Canada Prince Edward Island 旅行
2014年8月15日(土)から18日(火)

イギリス系とフランス系、保守派と改革派の対立で混乱を極めていた政治状況を打破するため J. A.マクドナルド、G. E.カルティエ、G.ブラウンらが「大連立内閣」を形成したのが1864年。 2014年はその150周年ということで、オンタリオ/ケベック州では、数々のイベントがあったようです。

シャーロットタウンでもオブジェが置かれ、イベントがもようされてました。

Founders Hallにあった
2014 オブジェ

Province House 横にあった
1864 オブジェ

ZONE イベント会場にて

お子ちゃまたちは簡易遊園地で♪

コンサート会場化

砂のオブジェ
Sand Sculpture

歴代の・・・
誰かわかりませんでした。。。
たぶん州知事さん達?

カナダもアメリカと同様、イギリス、フランスからの独立のため連合を組み戦ってきた歴史がありました。東部カナダ、プリンスエドワード島はその連合の基礎を築く歴史的な舞台となった、ということですね。


コンフェデレーションとは
JACS: The Japanese Association for Canadian Studies から引用
イギリス議会で制定された英領北アメリカ法(現在の1867年憲法)に基づき、1867年7月1日にカナダ自治領としてDominion of Canadaが成立したことを連邦結成=コンフェデレーションと呼ぶ。

1840年代におけるイギリスでの「旧植民地体制」の崩壊で、最大の植民地だった連合カナダ(現在のオンタリオとケベック)では、本国での穀物法と帝国特恵関税の廃止で大きな経済的打撃を受け、1860年代にはグランド・トランク鉄道の経営破綻や、南北戦争による米加互恵条約失効の脅威のため、国家的破産の危機が生じる。
連合カナダではこの危機を回避するため、またイギリス系とフランス系、保守派と改革派の対立で混乱を極めていた政治状況を打破するため、1864年に J. A.マクドナルド、G. E.カルティエ、G.ブラウンらが「大連立内閣」を形成する。
彼らは同年9月に、三つの沿海植民地が「沿海同盟」結成を討議するはずだったプリンス・エドワード島でのシャーロットタウン会議に強引に参加し、すべての英領北アメリカ植民地による連邦結成を主張した。

翌月のケベック会議ではニューファンドランドを含めた五植民地が連邦結成の骨子となる「ケベック決議」に同意する。